おもしろい旅

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「よし!」って覚悟決めて、自分の心と向き合い始めて3ヶ月目に入りました。

頭に「?」が浮かぶほどすごいスピードで過ぎていく日々。

だけどこの短い期間で、たくさんのことを感じ取っています。
 
 
 
 
 
よーく見ていたようで、表面的にしか見ていなかったことがいっぱいある。
 
表面も触れようとしてなかった、存在にすら気付いていなかったなってこともいっぱいある。
 
見ていなかった時は、自分の痛いところも見ずに済んでいたけれど、この私だからこそやれることも知ることが出来ませんでした。
 
先生の言葉で言うと、私が貰っているギフト。
 
それが少しずつ見えてきているのが嬉しい。
 
 


 
「〈足すこと〉ではなく、決めつけていたものを〈外していく〉という視点で」
 
1週間前に言われて、そっかうんうんって思っていた。

ふわっと印象に残った言葉ってピッとアンテナが張れるのか、セッション後の生活の中でそれに関連することが起きる。

というか起きていることに気付く。

今週はやっぱり「足りない感」がわいてくるような場面があって。

これは私がよくはまるやつで、結構いつも揺さぶられるけれど、今回はいつもよりはやい段階で立ち止まって、大切なことはなに?って自分に問うことが出来た。

そして「これは、外していくのにいいかもしれない」と感じるものを選択しました。

そしたら先生の言葉が、

「そっか、うんうん」て感じから、もうちょっと奥の方にじんわり入ってきたのでした。

結果がどんなふうになるかはともかく、毎週こういうことを繰り返している中で、スートラに書かれているpratyaksa(体験による理解)がとても大切だということを実感しているこの頃です。


 
 

自分の声に耳を傾けるということを意識的にするようになって、自分のことをどんどん知っていって、ギフトに気付かせてもらったりもして。

気付いたら、以前よりも自分の力で立っていられるようになったと思う。

しかしこの旅、進めば進むほど誤解がいっぱいあるなーってつくづく。

誤解 viparyaya

無意識のところで「これはこういうもん」って決めつけていることが、いっぱい。
 
今書いている文章、感じていることにもそれは潜んでいるかもしれなくて、だからこの先全く違う感じ方になるかもしれないけれど、一瞬一瞬「今こう捉えている」という事実に、いつも向き合っていたいと思う。
 
 
 
 
 
セッションを重ねる中で、ふと。
 
はじめはスートラを通して心を学ぼうと思っていた。
 
だけど今は、心を通してスートラを学んでいるという感じ。
 
「スートラを通して心を」だった時は、
 
「目的地に向かう・得る・コントロールする」という感覚だった。
 
「心を通してスートラを」は、
 
「現在地を知る・ゆっくり・馴染む」という感じ。
 
どちらも「理解したい・解放したい」という気持ちは一緒なのに、違う。
 
後者の方が、すごく残る。
 
今まで読んでもピンとこなかった、生かせなかった本なんかも、この感じで読んでみると受け取り方が変わりそうだなと思った。
 
今よく心の動きを感じたりそれを言葉にしようとする中で、
 
「あ、あの本(人)の言葉、こういうことだったのかな」
 
って、もう無意識の引き出しに入っていたものが出てきて繋がって理解が深まるみたいなことがよくあるから。
 
って今書いていて、やっぱり私ずーっと、心の動きに興味があったんだなって、過去の記事とか読んでいた本とか振り返って改めてそう思った。




・・・・・・・・・・




そういえばこないだプライベートの生徒さんと、私が学んでいることについてお話をしていたらえらく盛り上がって、こんな本を貸して下さいました。


コア・トランスフォーメーション:癒しと自己変革のための10のステップ

コア・トランスフォーメーション:癒しと自己変革のための10のステップ

  • 作者: コニリー・アンドレアス&タマラ・アンドレアス,穂積由利子
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2004/01/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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その生徒さんは、なんで私のところへ来られたんだろうと思うくらいはじめは共通点を感じなくて、たまたまお家が近いってだけかなぁと思っていたのだけど、なんか…納得!

まだはじめのちょろーっとしか読んでないのですが、そこから拾った言葉。


自分の役に立ち、自分の行動を支える感情を持つ。

 

自分が選択権を持つ物事に対して、選択した責任を持つことが出来る。
また自分の手にあまる物事に対して心配しない。

 

自分や他人の間違いや弱点から学び、許すことが出来る。

 

無意識と友だちになる。

  

無意識になった決断を変えるのを手伝ってくれるプロセスが必要。〜したいと意識的に決意するだけでは足りない。

 

体験をわきによけてしまったり、“ポジティブに考え”ようとしたり、自分の意志だけで好ましくない行動をなくそうとすると結局自分自身と戦うことになります。
そして、自分と戦った場合には、自分の中のどこかのパートが必ず負けることになるのです。

 

言葉は単に、体験につけたラベルでしかありません。
体験がなかったら、言葉は空虚なものになります。

 

んー、繋がってるなー。