読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「大丈夫」で踏み出してからのこと

「大丈夫」ということ - ヨガのこと 日々のこと たまにねこ

 

これ書いたあとに思ったこと。

 何か行動を起こして、例えば誰かが応えてくれたり、「いいね」「大丈夫」って言ってくれる人がいなかったとしても、自分がいいと思うんなら続けてみたらいい。

好きな人たちには「見てほしい」「いいねって言われたい」って気持ちが私はもともと強くなってしまうところがあって、反応してもらえそうなことをやったり書いたりしそうになる。
 
それで、自分に小さな嘘をついてしまうこと、私はたくさんあった。
 
本当の想いにしても、納得してもらいたい気持ちが強くなって、やたら説明が多くなってしまったり。
 
 
 
 
最近はやりたいことがはっきりしてきて、それで行動して輪が広がっていく中で、好きなものや人にやっぱり近付いていたいから、またそういうことしそうになったり、やっちゃったりしている自分がいる。
 
そうやって感情ゆっさゆっさ揺さぶられながらだけど、ほんと自分を信じて表現するようになってきたと思う。
 
はじめの一歩は力んだり転んだりするもんだ!いろいろあるもんだしって、なんだか強くもなってきて、、、というかこれは諦めかなぁ。
 
 
 
 

誰かに合わせていって良かったことってほとんどない。
 
それでも、ぽろっと想いとズレたことを選択してしまうことはあるけれど、その時に自分から離れていってしまう心地悪さはよく感じるようになった。
 
私の場合は長い年月を掛けてぎゅーっとなりすぎて、
 
何が自分にとって大切なことか、何がやりたいことなのか、ほんとのところとズレているかどうかが分かってないみたいなこと、
 
そして気付いていてもほんとを出すのが怖いこと、たくさんありました。
 
今もあります。
 
でもでも、判断つくかは置いといて、瞬間瞬間「こうしてるね、こんなこと言ってますね」って感じておくことは出来る。
 
先生とのセッションのずっとはじめの頃に、こういうことがテーマになって、
 
「今どうか」を、もっとそのままをよく感じることから始めたんです。
 
そしたら、なんか、いろんなことが見えてきて、なるようになってきました。
 
…まとめ方がざっくり過ぎるけれど。
 
とにかく体や心はずっと、自分自身に分かって欲しがっていたのだと思う。
 
人に分かってほしいーと思っているわりに、自分は自分のことを見てあげようとしていなかったんだった。
 
 
 
 

「反対派」とか「興味がない」という反応を目の当たりにすることってちょっと怖いけど、それを恐れずにやってみることに慣れてくるにつれて感じたことは、
 
いろんな捉え方があることを知れて、いろいろあることに対して寛容になってきたこと(これは全部好きになろうとすることじゃない)。

様々な反応を体験することでより自分のちょうどいいところや大切なことがはっきりしてきたこと。

そもそも想像していたほど、怖いことってそんなに起きない。

ぎゅーっと収縮させていた時よりは「よかったー」ってなることがほとんど。

どんな経験も、光を見せてくれるんだなぁって思います。