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真ん中の距離と頭が作り出す距離

ここ数ヶ月前から、生徒さんからハグしていてくれたり、手に触れながら挨拶をしてくれたりするようになった。


お手当てを始めて、触れ合うことの良さを実感し始めた頃からだと思う。

ヨーガやお手当ての時、何の抵抗もなくただ触れにいく。

だけどそれ以外の場面で、あぁ私いまこの人に触れたいなぁという気持ちが湧いてきても(結構よくそう感じている)、体が動かないことが多い。

生徒さんたちの方がどんどん来てくれて、それはすっごく嬉しいのだけど。





私は、ぜんぶ取っ払った、ただの私をまだ認めてられていないってことに、最近は何度もいろんな形で思い知らされる。

「つまらない人間」って自分ですっごい思っていることに気付いてしまって、悲しい。

いろんな人や出来事が「そんなもんをいつまでも持っていなくていいんだよ」って教えてくれている。

だけどなかなか頭が許してくれない。

素直じゃない、嘘つきな自分にもやもやがいっぱいになってきて、

「私もなりたくてこうなったんじゃない」

と、どこにもやりようのない想いを空中に投げる。

真ん中で感じているまわりの人たちへの想い・距離と、実際に接するときに出てくる言葉や距離感とのギャップがあって辛い。




だっと書いたけれど、日々幸せもたくさん感じながら生きています。

本当に、とっても楽になった。

大丈夫になったこと、許せたこともいっぱいある。

大好きな家族や仲間や先生がいる。

自分のやりたいことも感じられるようになった。

それで、じゃあそれを歩いていきましょうというところ。

思うようにやらせてもらえる環境もある。

安らげる場所もある。

本当に恵まれてると思う。

ただ今まで踏み込まなかったところに踏み込んでいくにあたって、今までのバージョンがもう本当に合わなくなっている。

想いややりたいことを、ただ単純に表現することに対して、怖さが反射的に出てしまう。

誰かが怖いんじゃない。

何かしらの反応や起きることに対して、自分から湧いてくるものを見るのが怖い。

けどそれに負けたくないから進む。

進んでは当たる。。笑

重ねて感じていくだけだと思う。

いろいろ気付きながら、癒しの時間を持ちながら、歩いていこう。

今までの感覚としては、あるタイミングで「あぁもういい加減いいわ」ってなるときが来る。

大丈夫になるって確信はあるけれど、結構手強いなぁ。




「purnam(プールナム)」というマントラがある。

1年近く前に教えてもらった。

もう全部が完ぺきだから、完ぺきなものから完ぺきなものを引いたって足したって完ぺきなんだっていうマントラ。

そうだなぁって幸せな気持ちで唱えることもあれば、そうなんだよって言い聞かせるように唱えることもある。

いろんな私がいて、いろんなときがあって、それでいいんだなぁって思う。