みんな分の世界

こないだのこと。

久しぶりにまっこちゃんのおうちへ。

どのバスに乗るんだったか忘れてた。

もう忘れてしまったのかとも思うし、まぁそんなもんだよなとも思う。

バスに乗ってあーそうだこんなだったと思っていたら、昔よく乗っていた市バスの番号を思い出した。

こないだ思い出そうとしても出てこなかったのに。

引き出し開けたらついでに出てきた。

ちょんちょんと、近いところを刺激されると、欲していなくても出てくる機能。






部屋で何をするでもなく話していたら、出逢ったのは4年前だったんだねってなって。

早いなぁとも思ったし、初対面がすごく昔のことのようにも感じた。

「4年」の長さと「1460日」の長さは違うような気がする。

かわいいジッちゃん(わんこ、ジル)が最大限に手をピーンと伸ばした時、ジッちゃんの手は短いなーと思った。




みんなそれぞれが、それぞれの想いをもとに世界を見て、それぞれに受け取ったり受け取らなかったりしている。

本当に淡々とした何気ない一日の中で、改めてそんなことを感じたのでした。
 
 
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たとえば「花の香りがする」というとき、その香りを経験しているのは“鼻”ではなく、鼻を通して心が経験しているのだ。そのとき心が他のもので占められていて、鼻を通じて機能しなかったら、たとえ鼻先にその花が突きつけられても、その心は香りを経験しない。また、読書に熱中しているときは、友だちが大声で呼びかけても聞こえない。それは、そのとき耳がふさがっているからではなく、耳が心とつながっていないからだ。だから、いろいろなことを経験し享受するのは心なのであって、身体の器官ではない。

インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)P167 より。