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真ん中の音は世界のとびら

2012.9〜2016.5

違う土地で起こっている問題に対して、京都に住みながらも出来ることってなんだろうなと考えたりネットで調べていた時に、京都新聞のサイトで「こころの わ」という取り組みを見つけた。

子供たちの未来のために、今起こっていることを知り、考え、行動し、あたたかい輪が広がっていくように、というような内容のもの。

あぁそうだった、と。

私の身近なところ、この京都でもいろんなことが起きているんだったって。

大切な人たちのまわりや世界で起こっていることを知った時、そこに対して出来ることはやりたいってやっぱり思うのだけど、

それらと向き合った時に自分から湧き上がるものや気付きを、自分自身や自分の身近なところに反映させていくということが、もっと出来るなぁと思った。





あと、こころのわ に掲載されていた、水谷修さんという方のコラムがとても良かった。

下記のリンク先、

「美しく優しい言葉が、子供たちの明日を生きる力につながる。」

というタイトルのです。


メッセージ|こころのわ きづく つながる ささえあう


目で読んだあと、音読もした。

音にすると感じやすい。

 





このコラムを書いた水谷修さんの本を読んでみようかなと本屋に行ったらなかったのだけど、代わりにたまたま見つけておもしろそうだと思って手に取った本がある。

「死ぬってどういうことですか?今を生きるための9の対論」

堀江貴文さんと瀬戸内寂聴さんの対談。

まえがき(by寂聴さん)の最後に、


「若い人たちがこの本を読んでくれると嬉しい。そして私のいう原発と戦争について、自分の意見を見つけてくれることを切に願っている。」

って書いてあった。

まわりにあるいろんな出来事や意見を見たそのときの、自分の内側の音、身体のかたさや柔らかさを感じてみることが、やっぱり第一歩なんだと改めて。

感じまくってみたら、そこからはさまざまな歩幅があるけれど、遅かれ早かれ何らかの動きに繋がって、

結局内側に向かっていくことで、意識や行動は広くなっていくのかなというのを、まだまだ制限の多い私だけど(だからこそかな?)体感し始めています。





それで、なんかそんなことを思いながら今朝テラス北山のクラスに行ったら、生徒さんたちがそれぞれのペースでねこのポーズをしている姿にドキドキしてしまった。

ちょくちょくこの感覚が来る。

わぁなんだこりゃーと思うのだけど、この感じ、覚えておきたいなぁといつも思う。