母方のおばあちゃんのお見舞いに。
病室には懐かしい親戚がたくさん来ていました。
その部屋にいる人間の中で一番「死」に近いであろうおばあちゃんの姿に、誰よりも「生きている」ということを強く感じさせられ、反対に体は丈夫だけど何もやる気が起きないと言うおじいちゃんの眼は「死」を連想させた。
私ははじめ少し泣きそうになったのですが、深呼吸をして、
「波が海に返るだけ」
ヨガの本に出てきた例え話を思い出し、いくらか楽になりました。
親戚は(おじいちゃんを除いては)みんないたっていつも通り、
「脚が痛い」
「仏壇から煙が出てる」
「お腹すいた」
「ふりかけ」
ぼんやりしながらもよく喋るおばあちゃんの様子に笑ったり返事したり体をさすったり、その都度穏やかに受け止める。
和やかな病室。
親戚はみんな生き物が大好きで、これまでいろんな生き物と一緒に暮らし、生死を見てきているからだろうかなんて考えながら眺めていた。
すごく辛くて耐えられないんじゃないだろうかと不安だったお見舞い。
だけど本当にいい時間でした。
呼吸していること、どんなに呼吸が浅い人でも体が膨らんだりしぼんだり確実に動いていること、いろんな感覚や感情があることが鳥肌が立つほど神秘的に感じた。
昨夜参加したヨガのワークショップで、人との出会いだけでなく、自分に沸き起こる様々な感情や感覚も一期一会だと先生が仰った。
病室で感じたことと繋がったりして、これもまた心に響く時間になりました。
生活の中で、そしてヨガのレッスンでも、それぞれの「生きる」を感じて、尊重して、生きられたらいいなぁと思います。
上手く生きる、合わせるのではなくて、時に起こる「怒り」や「痛み」という生の在り方も含めて。