勢いでもなく、前向きな思想を押し付けるでもなく、その人のもともと持っている生きる力を信じて寄り添う。
最悪と思える事態のことを考えておかざるを得ない時においても、
その人の中の光を本人がまた感じられることを、まわりの私たちが信じて関わるのと疑いながら関わるのとでは全然違うと思う。
信じたり、祈ったりすることだけではどうにもならないけれど、だけどそういったことはとても大きな支えになる。
お守りになる。
自分のことと重なって、体が痛く感じるほど悲しい事実を知って。
落ち着いて捉えられることも多くなってきたけれど、痛いものは痛いし、いったんはそれを感じるしかない。