12月12日(土)から16日(水)までの5日間、山梨のリトリートに参加してきました。
帰ってきて、そのあとmanaiのワークショップとおはなし会があり、だーっと駆け抜けた1週間ちょっと。
昨日で一通り終わって、まだ少し余韻を感じながらこれを書いています。
リトリートのこと、今印象に残っていることを箇条書き(ほぼ自分用で、言葉足らず)。
- まっすぐな人たちの姿に心が動いていた。
- 私はまっすぐじゃなかった。
- 隠して自分でもそのまま忘れていたことを思い出した。
- ずっとごはんが美味しかった。
- 流れ星が最高に綺麗だった。なお先生が「もやがかかってても綺麗だなぁ」と言った。空と私たちは似ているなぁと思った。
- 人間みんな違う部分がたくさんあるけれど、星や月や太陽なんかは多くの人に響く。
- こまよ先生はいつも寄り添い方を教えてくれる。
- 落ち葉の布団はあったかい。
- 「違っていいんだなぁ」でほっとする、「一緒なんだなぁ」でもほっとする。
- ワーク外の時間の何気ないみんなの言葉や、自然の中でも気付かされることが多かった。
- 声のワークやダンス瞑想のあと、まん中が喜んでいるなぁと思った。
- 穏やかなことも好きだけれど、ぐわーっと温度の上がるような情熱的なこともすごく好きだと思った。
- 菊芋は茎がずどーんとおっきくて長いけれど、前回のリトリートではかわいい花が咲いていて、今回はちいさなかわいい菊芋が穫れた。普段口にしているものたち、食べられる部分しか知らないなぁと思う。
- 素敵なのに、感じられないこと。
- 魔法のアイテム、自信を持って歩んでいけるペンダントをもらって嬉しかった。便利機能がついている道具たちもわくわく嬉しい楽しい気持ちになったけれど、ペンダントは寄り添ってくれているだけで、動くのは自分だから。
- 最終日の夜にマントラを聴いている時、ずっと褐色の土と森を空高くにひゅーと上がって、上から見下ろしていた。あまりにはっきり見えたので気になっている。
- 家の仕事全般、「やれない」と感じる。
- アーサナの時間、最初からシャヴァーサナまでずっと斜めだった。傾きと歪みを感じてショックだったけれど、「あぁ、確かに」と思った。
- 落ち葉。人口のものとは解け合えない。あれだけたくさん付けていたものを、時が来ればぜんぶどさーっと落としてしまう木の潔さ。
- 欲望に素直になること。
- 良く見せようとすることではなくて、自分の与えてもらっているものを愛でていきいきさせること。
- 全部のことに、心のことを観ていて、好きなんだぁと思った。
- ひとりひとりに、素敵なところが必ずあって、それらは意図せずに溢れている。
色々な気持ちがあった。
嫌な自分、私ってつまらないと思ってしまうことも度々あったけれど、楽しさ嬉しさ幸せもとんでもなくいっぱいあって、本当に今回も行って良かったなぁと思いました。
いつもまっすぐに見ていてくれるふたりの先生と、濃い時間を一緒に過ごしてくれたみんなが本当に大好きで有り難くて、そしてそこで起こる全てのことが宝物です。
京都に戻った翌日にリトリート前のことを振り返って気付いたこと。
最近は「はやく自分のやり方を見つけないと」と頑張っていたと思う。
それを求めて、自分のやり方、どうやるか、って色々やっていくうちに「自分」が強くなって、
自分をよく見せようとしたり、見ていてほしいと思う気持ちが強くなったり、比べて揺さぶられたり。
人への愛情もあるのだけど、働きかける時にその行動を認めてもらうことをどこか意識しているいやらしさみたいなもの。
それをどこかで感じながらも、いったん落ち着くということが変に上手くなって、よーく感じないまま次に行って、また同じようなことを重ねて、どんどんズレていったのだと思う。
そんななのに、結構自分のこと感じながら過ごしていると思っていた。
改めて、声を聴く。
そうしたら、ここしばらくのことは一体なんだったのだろうというくらい、もやもやがすとんと落ちた。
好きだなぁ、いいなぁと実感していることを、ただずっと続けていって共有したい気持ちが残っている。
私は、自分を認めてあげて、そのまんまでほっとしたい。
与えてもらっているものに感謝していきいきさせていたい。
そして、同じように願う人たちに寄り添いたい。
これが喜び、幸せ、癒しだと思う。
今年の終わりに、そして新しい年の始まりの前に、大切なことが確認出来ました。
今なんだか、まん中の方の熱さを感じています。
先生、仲間、YOGA、あの場所、いつものみんな、いつもの場所、本当に本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
2015.12.12~16 わたしの星をみつけに☆流れ星リトリート&ピカピカリトリート | Facebook