学ぶことや成長することついて思ったこと①

勉強・成長という言葉に、今までどこか抵抗する気持ちがずっとあった。






「学ぶって一体なんなんだろう」「なんでマントラ?スートラ?」

って頭がぐるぐるし始める時期が、ちょくちょくやってくる。

「そっか、いいんだ!」ってなんか分かっては、また「あれ?」ってなる。


それはきっと学んでいくということが「そのまんまでいい」を否定することのような気がしていたからじゃないかと思う。

考えだしたら、これ以上に学び続ける必要あるかなってなって。

それで、ここ最近も、2ヶ月弱くらいセッションも受けていなくて、スートラ読みながら自分のこと観たりするのもやっていなかった。

そしたらいつの間にか、

自分はどういうやり方をしていくべきかを探し始めて、人のことが気になり始めたりもして、酷く悩んでいた時の自分にちょっと戻った感じになっていることに気付いて。

考えが増えて感じることが鈍くなって、その時期のブログを見ると、そうなっていたのがよく分かる。

今またよく観るようになって、考えが減って感じることが増えて、なんだか気付くことがいっぱいある。

いろんな心の働きは、こつこつ実践し続けることと執着を落とすことでおさまりますよーというのが、スートラに書いてあるけれど、

そうだなぁ、、と思った体験だった。





それで思ったのは、

そのまんまでいいのだけれど、そのまんまでいることや、今をまっすぐ観て生きることが難しくて苦しみを生んでいる場合は、それを助けるツールを持っておくと良くて、それが学ぶことなんじゃないかということ。

そして、何をツールとして取り入れるのかは、もう何故だか分からないけど惹かれることでいいんじゃないかということ。

私みたいなタイプは、何か理由が必要な気がしてしまうからややこしくなる。

なんかの拍子に考え始めてしまうことがある。

だけど今までのことを振り返ってみると、大した理由なんてなかったことが分かる。
 
 



私はよーく吟味してヨガを選んだわけじゃない。

なんとなくヨガかなーと思って体験に行って、いいなぁ!と思ったからアーサナを続けた。

それで少しずつ整っていった。

スートラやマントラも、よーく考えて選びにいったんじゃない。

先生が運んで来てくれて、感動して、始めた。

おもしろいし、すごく救われたし、いろんなことが起こるけれどその中で自分のことを大切に出来るようになっていった。



多分そういうことをただ単純にやっていけばいいのだろうけど、頭がお喋りを始めるとなんか変になっていく。

こうやるべきなんじゃないかとか頭で考えて、好きなのに離れて他のことを探してみたりして、でもそうしてやったことは、大体しっくりこない。

とにかくツールが必要なうちは、自分が「なんだか惹かれること」をやればそれできっといいんだと思う。





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なんだか、しばらく滞っていた反動か、ここ数日言葉が溢れてくる。

すっごくいろんなことを感じていて、それを書くことは好きだからいいのだけど、座っている時間が長過ぎておしりが青くなりそうです。