病が見せてくれたこと

コロナではありませんが

2月末から調子を崩していました

 


自分の中にずっとあって

ときどき顔を出していたけれど見切れずにいたものや

もう終わったと思っていたものが

ひとつのイベントをきっかけに

びっくりするくらいおっきくなって出てきた

 

 

自分はなぜ生きているんだろう

必要ないんじゃないか


何もできる気がしない

未来が心配

 

 

口の中はただれてだんだん食べられなくなって

体も心もエネルギー不足

夜もお昼も ながい時間眠って

たくさん泣いて

こんなに深いところまでもぐっていったのは久しぶりでした

 

 

そんな状態に


駄目な暮らしをしている気分になって

さらに悲しくなった

 

 

「お金を稼げないと 仕事をしていないと なにか発信していないと」

という意識がどこかにあるのをすごく実感

 

 

置いていかれるような気がして焦る気持ちになったり

ほかにもどんどん出てきた

もともと備わっている

奥深くに刻まれた体験 思い込み

 

 

いろんなことが次から次へと浮かび上がってきた

 

 

感情がばーっと溢れて パートナーと話して 眠って

とにかくそれを繰り返す日々

 

 

だけど それを数日続けてふと気づいた

 

 

((  あ、ほんの少しスペースができている、、 ))

 

 

「こんなことも感じてたんだ」

「こういう思い込みもあったんだ」

「この感情だと思っていたけれど本当に表現したかったのはこれだったんだなぁ」

「あれがずっとしこりになっていたんだなぁ」

と 落ち着いて受け取れるようになってきて

そうしたら少しずつ静まって

動き始めることができました

 

 

その "静まる" というのは

「なくなる」というより

それらとともにいられるようになって

「問題に感じていたことが問題ではなくなっていく」

という感覚でした

 

 

 

 

 

 

寝込み始める少し前に

状態を見てレメディをくれたお友達がにっこりしながら言ってくれたこと

 

 

『とても順調なプロセスだし これはギフトだから大丈夫だよ

ぜんぶ感じて 嘆くの!

それも辛辣に!

そうしたらね

本当に輪になれるよ 』

 

 

その言葉がようやくじわじわと染みていきました

 

 

 

 

 

そんなプロセスの中で実感したこと

それは

「わたしは ”生き物”なんだ!」

ということでした

 

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喜怒哀楽の表現


五感で感じること

暮らすこと

そういう生き物としての営みの中にある豊かさ

感じた やったつもりになって

深いところでは見れずに 味わえずにいたなぁと思った

 

 

何かそれよりももっと大事な

成し遂げるべきことがあるかのように

どこか感じていたと思います

 

 

食べられなくなって 動けなくなって 心も体も痛くなってやっと

生き物として生きるということを

真ん中からじわじわ感じる 味わうことができました

 

 

 

 

 

動けるようになってきてからは


たまに外に出向いて

人や場所に良い刺激をもらったり 癒しを手伝ってもらったりしながら

(まわりの方々のあたたかさに本当に助けられています)

”暮らすこと”

わたしにとっては大切な”作ること”

そして”気になっていたこと”

とにかくゆっくり実践しています

 

 

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日々のごはん(たまにおやつ)を丁寧に楽しく作ったり

 

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手をつけられていなかった場所の掃除や整理や飾りつけをしたり

 

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お庭を分からないなりに作り始めたり

 

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子宮バランスセラピーの施術ができる部屋を作ったり

自分で作るって大変なこともあるけれど

どれもまるでキャンバスに絵を描くようで楽しくてワクワクします

 

 

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手と感覚を使うことは本当にいい薬だということを改めて実感中です

 

 

それから

絵を描いたり

アートセラピーについて学んだり

興味のあった分野のことを本から学んだりもしています

(どこかに常にあった”焦り”からか

本をゆっくり読むということができなくなっていたので

読むことにすっと集中できる自分を久しぶりに感じて嬉しかった)

 

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とにかく今は自分に向かうことと

本当に触れられる 見つめ合える

すぐそばの人たちとの時間を大切に過ごしていて

これはなんともさっぱりしていて

心があたたまります

 

 

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そして毎日 空や木や花や動物を眺めてる

 

 

すべてを引き受けているおっきな”静けさ”の中に

動きある私たちは包んでもらっているのだなと感じたりしています

 

 

 

 

 

人はきっと本来



何か特定の仕事を失っても

お金がなくなっても

恐れることなく生きていけるだけの

ギフトが与えられているのだと思う

 

 

だけど

そのギフトに気づけなくなるような何かが

いろんな事情で いろんな形で

人の奥の方に入り込んで住みつく

 

 

その力ってきっと

ある意味コロナよりもずっとパワフルで根深いなと

今回感じたのでした

 

 

そして その存在と対話するタイミングが

かなり唐突にではあったけれどやってきてくれたことは

本当に お友達が言ってくれたように

ギフトなのだと思います

 

 

 

 

 

日々 海のように当たり前に波はあって

どんなことにも「ありがたい」と思える日

そうでない日 いろいろです

 

 

「苦しまない自分」を夢見てしまうことがあるけれど

いろんなことがあってひとつの世界

 

 

いろんな出来事に対して

素直な感情に気づいて

攻撃でも押し込めるでもなく

愛のあるコミュニケーションができる

ひとつひとつのことが自分にとってどんなギフトなのかを見ることができる

そんな自分になりたいな

 

 

光と影を

まるっと包み込んで

ともにいられるわたしでいたい

 

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と そんなことを感じていた1ヶ月です

 

 

大切なことを発見して

じわーっと 境界が溶けて平穏に包まれたりしながら

一方では かぼちゃの切り方をちょっと突っ込まれただけで

本気で怒ったりしているこの頃です

 

 

人間って 世界っていろいろだなぁ!