「愛おしいな」

 

咲くはな 散るはな
咲くはな 散るはな
咲いても 散っても
愛おしいな 愛おしいな

泣くかお 笑うかお
泣くかお 笑うかお
泣いても 笑っても
愛おしいな 愛おしいな

晴れま 雨おと
晴れま 雨おと
晴れても 雨でも
愛おしいものは 愛おしいな
晴れても 雨でも
愛おしいものは 愛おしいな


楽しい時間も悲しい時間も、本当はおんなじ、愛おしい気持ちから生まれていることを、忘れないうた。

noahのちいさな畑

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神さまにお供えしたお花

お部屋に飾ったお花

ほぐして曼荼羅にしたお花

その花たちは最後

大体いつもこの畑の土の上で眠って

いつのまにか土と一緒になる

お花とそこにあった

いろんな祈りや思い出たちも土になる

そんな土に種を蒔いてお祈りをして

陽が照ったり

雨が降ったりしたら

かわいい芽が出て

お野菜が育ったり

食べられるお花が咲いたりする

土に満ちるいろんな栄養と祈りと思い出と

太陽と月と雨が

私たちをいきいきさせてくれる美しくておいしい命を育ててくれます

 

先生の先生

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写真は、わたしの先生の先生です。



条件に左右されることなく大切な、でも忘れやすいものが大切に繋がれている。
大切な教えがどの国にもあるだろうと思う。
そんな中で、日本のものではなく、異国の昔の言葉に触れていることが不思議だなとたびたび感じてきたけれど。
大切なものには時代も国境も関係がないもんね、と前から分かっていたようなことにはっとした朝。



わたしたち、ひとつの星に住んでいる。
国や組織や年齢や、いろいろな区別がある中で生きているけれど、頭や癖が働き出す手前の「はっ」とか「きゅん」とか「じわ、、」とかそういうものはきっと、「境目がない」という大切なものの要素そのまんまなんだと思う。



いろんな性質を与えられたわたしたちが、それぞれの存在によく響く音に惹かれる。
その惹かれる音は、女性だから女性のものとも限らないし、日本人だから日本のものとも限らない。
それはとっても自然なことだから、なんで?って言われて答えられないことだったとしても大切にしたらいいし、止めなくていい。
真ん中からの「それ!」に寄り添ってあげることが、目の前にたくさんある境目から自由にしてくれる。
それは色々な違いを無視することではなく、むしろきっとそれも迎え入れること。



真ん中の音が響く空間を埋めてしまっているものがあったら少しずつお掃除をしながら、真ん中から聴こえてくる声を昨日よりももう少し信じて一歩でも歩いてみる。
学びながら、行きつ戻りつしながらだけれど、だんだんと余計にかけていた制限から解放されていく私がいます。



さまざまな違いを持った人たちをあたたかく迎え入れて、多くの人に伝え続けて下さった、今も伝え続けて下さっている、先生方に感謝しています。