「寂しさ」と手を繋ぐ

とんでもなく寂しく感じる時について。

 

 

 

まわりの人たちとの関わり。

今までの人生になかったような距離感や触れ合い方をしている。

そうして仲が深くなっていくにつれて出てきたものに、今とってもそわそわざわざわしています。

「寂しい」

この感情はたぶん、じゃなくて完全に私が今までずっと苦手で避けてきたものでした。

観てみる時がやってきたなぁと思っていたら、この感情を強めるきっかけになったであろう出来事を思い出しました。





10歳くらいの時、ある日を境にお母さんがいなくなって、長いあいだ連絡が取れなくなったこと。

学校がない日、父のお店を手伝いながら、常連さんたちの「お母さんはどこ行ったの?」という質問攻めに、

〈なんで私に?私も知らないのに!〉と思いながらも引きつった笑顔でごまかした。

聞かれれば聞かれるほど寂しさが増す。

また会えるのか、一生会えないのかも分からない。

結局会えたけれど、また一緒に暮らすということは叶わなかった。


数ヶ月に一度のペースで会ってごはんを食べる。

その中で何度も「またもとに戻るかも」という期待が生まれては、流された。





今そのことに関してはなんとも思っていないし、二人が離れたことは本当に良かったと思っている。

 いろいろあったけれど、現在は父とは程よい距離、母とは友だちみたいな感じになって落ち着いています。

だけどその時期に感じた強烈な「寂しい」という感情とは、まだずっと上手く付き合えないままになっていたようです。





 

近くなっていくにつれて、


「こういう関係はずっとじゃないから、ひとりでも大丈夫なようにしよう」


って心の中で離れる準備をしてしまうのはそういうことか、って、気付いていたようでぼんやりしていたことがはっきりした。


遠くなって寂しい思いをするのが怖いから、近付き過ぎないようにする。


一定の距離を保つか、もしくは自分から離れるか。


少し前まではそのどちらかを、いろんな理由をつけて、人との関わりの中でやってきたと思う。


だけど今は、そのなんとなくずっとあった「ここまで」をいつの間にか結構通り過ぎたところにいて。


もう違う。


だからこれから周りの人たちとさらに時間を重ねていく中で、きらきらする分、時折どーっとやってくる寂しさとも、これまでと違う付き合い方が出来ると思う。





ざわざわして、ちょっと食べ過ぎたりしつつ(!)、寂しい気持ちと一緒にしばらく過ごしてみて感じたこと。

それはやっぱり、

「寂しい」に包まれている時は「ほしい」がいっぱいになっているということでした。

いつもなら見える、近くのきれいなものが見えにくくなってしまう。

それを感じていけば、こういう気持ちもそんなに大変なもんじゃなくなると思う。

 

 




あと、自分のこれまでを振り返ってみると、いろんなことがあったけれど、全部のことが最善だったんだなぁって今は感じている。

同じように、みんなそれぞれ、本当に必要なことが起こってるって思う。

寂しかったり心許ない時は、ぐいっとこっちに引き寄せたくなってしまうこともあるのだけど、

みんながみんならしく歩いていけますようにって思うと、

強くなってしまった「わたし」や「ほしい」がすぅーっと溶けていくなぁと思った。





そう、それと!

心細い時は、すーっと素直に歩みよってしまえばいいんだろう。

すぐ近くに、素敵な人たちや場所があるのだから。

どれもこれも、もっと普通で簡単なことなのだと思う。