20代前半までのゴミ屋敷生活(盛ってません!)はなんとか卒業をして、すっきりとした暮らしになった。
こんなことをしながら少しずつ。
- どうしたら片付けられるのか、なんで片付けられないのか、本を読んだり調べたりする。
- ヨガなどで、体と心と呼吸を感じる時間を持って整える。
- 物の量、どれくらいまでなら管理出来るのかを探る(結局すごい減らした)。
- めんどくさくならない配置や使い方を試行錯誤。
- 自分にとって、長く続けられる方法かを考える。
- 人の家に行った時、その人や家の在り方から学ぶ。
- 汚い時の不快さをたっぷり味わう。
- 綺麗な時の気持ちよさをたっぷり味わう。
「なんでこんなになってしまうのか分からない」というところから、いろいろやっているうちの段々と維持出来るようになっていった。
頑張っては挫折、頑張っては挫折を繰り返してずっと悩んでいたけれど、気持ちを整えることと自分のことをよく知ることが大切なんだなと分かり始めてから、綺麗に保てる時間が長くなっていって、この3年くらいでずいぶん安定した。
嬉しい、気持ちいい。
今は毎週おうちに生徒さんを招くという奇跡的な生活をしているけれど、プライベートレッスンを始めた時、実はとっても怖かった。
ドキドキというよりもう、本当に怖かった。
「これってこれでいいのかな、変じゃないかな」
って、部屋の中のひとつひとつ、自分のやることひとつひとつ、不安で。
多分、実際に身近で家のしごとをする姿をほとんど見たことがないのと、昔やること言うことに対してあまりにも否定されたり直されたりすることが多かったのが相まって、こういう感じになったのだと思う。
2年間何度も何度も人を招いていろんなことがあってやっと、それほど大きな不安を感じずにいられるようになった。
家の在り方だっていろいろだから、ひとつの正解はないのは分かってる。
だけどそれを頭で知っているだけじゃ、実際はどうにもならない。
「正解はひとつじゃない」というのは、あらゆる体験を通して得られる、本当のことだと思う。
はじめは自分は自分なりでいいということを信じて、えいっと踏み出す勇気がいるなぁ。
どこで読んだんだか聞いたんだか忘れたけれど、
「自覚があるならそれは癖ではなく、選択だ」
って。
えー、、と思ったけれど、自分の体が心地よくないことや傷つけることを「選択」しているんだって思ったら、こういう癖があるんですよねって思っていた時よりも明らかに、行動に対する意識が変わった。
心地よくないんだけどやめられないって時があってもいいと思ってる。
どんなことがあってもいいと思うけど、ただ今の自分のいくつかのことにおいては、
「癖」「それでもいいんだよ」って言葉で包み込む時期はもう過ぎたなって感じている。
自分が真ん中から喜べる選択を、する。
この体が住むおうち、そして自分が住んでいるこの体。
必要以上に汚してしんどくなってしまう選択をたくさんしてきたけれど、出来るだけ、心地よく住みたいなぁ!と本当に思う。
(掃除のことだけでもこんなに悩んだり解けるまでにたくさんのステップを踏んでいたりして、ほんとに大変そうですね私って、こうやって書くことでなんだか笑えてきたり楽に付き合えるようになったりすることがある。)