許しを乞うマントラ(kṣamā-ślokaḥ)を終えて思うこと

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昨日は

アシスタントとして参加している

渡部直子のヴェーディックチャンティングシリーズクラス

『 許しを乞うマントラ(kṣamā-ślokaḥ) 』の最終回でした

 

これはヴェーディックチャンティングの練習の終わりに

毎回唱えるシュローカです

 

 

 

ヴェーディックチャンティングを学び始めた頃

「マントラは神さまの音だから変えてはいけない」

と言われて

なんか分かるけれど なんだかしっくりこないなぁと感じていた

 

 

 

そして このシュローカを初めて学んだときは

『 間違えたことをお許しください 』という部分に

例えば pūrṇam に込められているような

” 完璧なものから完璧なものが取り除かれても足されても

そこには完璧しかないんだよ ”

とのあいだに矛盾のようなものを感じてしまって

当時のわたしは

「このシュローカの響きはすごく好きだけど

意味はあんまり心に入ってこないなぁ」

と思っていました

 

 

 

けれどしばらく後になって

" マントラの一音いちおんも わたしたち一人ひとりもおんなじなんだ! "

と気づいたときに

kṣamā-ślokaḥ が自分にとって

とてもとても大切な愛おしいものになった

 

本来の ”わたし” の音に耳を澄ませて

その響きで生きることの大切さを

思い出す機会を与えてくれるものになった

 

 

 

神さまが生み出してくれた

特別な色・バランス・リズムの一音いちおんに丁寧に触れることは

自分の一つひとつに丁寧に触れることに繋がっていく

 

 

 

本当に真ん中で響いている想いと

口から表されるものが違っているとき

真意と違う行動を選んでしまったとき

わたしは自分でじぶんを傷つけてしまったような気持ちになって

自分に そして相手に

「 ごめんなさい 」と思う

 

 

 

だけどそうして 違っていたことをちゃんと認識できたときには

本当の音に向かう扉がひらくのを いつも感じます

 

 

 

『 合っている = 良い / 間違っている = 悪い 』

って 本当はくっつけなくていいんだよ

 

心から許しを乞うことができるくらい違いが理解できたら

糧にして真ん中に向かってまた歩いていけばいいよ  

 

これもこのシュローカからもらった大切なメッセージです

 

 

 

おっきなおっきな器で包んでくれているのだなぁ

 

 

 

マントラの学びは何回重ねても毎回いいなって思う

 

そのときの自分にとって必要な理解が深まっていく

 

今回もまた

ノートに愛おしい気づきが書き足されました 

 

 

 

いつも思うけれど

みんなでマントラを学ぶと

その音に感じること 見える景色が その人数分あって

毎時間シェアし合いながら重ねていくことで

視野や感じられる範囲が広がる

 

だから 一人ひとりの存在が本当に有り難い

 

特に最近は それぞれに起こってくる

音の変化や感覚の広がりが

自分のことと変わりなく嬉しく感じられます

 

 

 

4月からもこのメンバーで重ねていくのが

とっても楽しみ!

 

 

 

なおさん みんな

今回も楽しく幸せな学びのじかんを本当にありがとう*