泣いていたら怒られたり
放っておかれたりという体験があると
いつのまにか
泣くことを止めるようになったり
悲しみをダメなものだと
思ったりするようになることがある
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だけどセッションで
人のおはなしを聴くようになって
たびたび思うのは
泣いている姿も 悩んでいる姿も
美しい ということ
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「思うようにいかなくて悲しい」
と思うとき その手前には例えば
「じぶんを輝かせてあげたい」
という想いがあったりする
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現れは"ネガティブ"と言われるものでも
その出どころを辿ってみると
そこには愛がある
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(アートセラピーは
その愛のところにアクセスできる
ひとつのいい手段だなと思う
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自分の中の闇を描いてもらうと
じぶんの予想とは裏腹に愛おしかったとか
真っ暗だと思っていたのに
描こうとしたら意外ときれいな色が見えてきて
捉え方が変わった
という声によく出逢わせてくれます)
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愛していなければ
悲しみは溢れない
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悲しみは愛の一部だ
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除け者にする必要のない
大切な愛の表現のヒトカケラだ
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笑顔から泣き顔になることは
「良い」から「ダメ」への変化じゃない
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ずっと変わらず尊い命のひかりが
いつもただそこにある
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なにがどんなふうに移ろっても
この尊さは絶対に
変わったりなくなったりすることはない
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そんな
じぶんひとりでは時々忘れそうになる
大事なことを
人や動物や自然界との交流があるから
何度も思い出すことが出来ています